島崎藤村の「夜明け前」は、2部構成の長編小説です。主人公の青山半蔵は、島崎藤村の父親がモデルになっています。
幕末から明治に掛けて時代が目まぐるしく変わる頃、自分の理想を追いかけようとした男の生涯が描かれています。
そんな夜明け前とは、一体どんな内容なのでしょう。簡単なあらすじをご紹介します。
島崎藤村「夜明け前」あらすじ
物語は「木曾路はすべて山の中である」という有名なフレーズから始まります。
青山半蔵の想い
旧青山家の十七代目当主として生まれた青山半蔵は、向学心の強い男でした。
王政復古に陶酔していた彼は、木曽の生命線である山林を古代のように、誰もが自由に使うことができれば生活がもっと豊かになると考えています。
そのため、森林の利用を制限していた尾張藩を批判しました。
下層に対して同情心の強い半蔵は、明治維新での改革を期待していましたが、それは半蔵の希望とは違うものでした。
さらに、山林の国有化によって一切の伐採が禁じられてしまい、彼の期待とはまるで反対の方向へと進んでいくのです。
挫折を繰り返す
半蔵はこのような政府の動きに対して、戸長らを集めて抗議運動を起こします。しかし首謀者として戸長の座を解任されてしまい、挫折するのでした。
村の子どもたちに読み書きを教えていた彼は、上京して国学を活かそうと教部省へ勤めましたが、同僚たちの国学に対する冷たい視線に耐え切れずに辞職してしまいます。
その後もさまざまな道へと挑戦しますが、どれも挫折し帰郷することとなりました。
継母は半蔵の生活力のなさを責め、そして半蔵は隠居して再び子どもたちに読み書きを教える生活を送るようになるのです。
しかし、次第に酒に溺れる生活へと変わっていくのでした。
精神の崩壊
明治維新後、青山家は家産を傾けており、親戚の者はそれが半蔵のせいだとして親戚間での金のやりとりを拒否しました。
さらに彼の酒の量も制限しようとしたため、半蔵は激怒します。そして自らの理想とかけ離れていく世間や家族たちへの落胆から、次第に精神を蝕まれていきます。
ついには自分を襲おうとする敵がいると言うなど、奇行に走るようになっていきました。
牢屋で迎えた最期
ある時半蔵は、寺を放火しようとしたため、狂人として牢屋に監禁されてしまいます。
初めは静かに読書をしていた彼も次第に衰弱していき、自らの排泄物を投げつけるなど精神も病んでいきました。そしてついに、牢屋の中で亡くなってしまいます。
遺族や愛弟子たちは彼を悼み、彼が生前に望んでいた国学式で埋葬することにします。
墓堀りの最中、弟子の一人が「わたしはおてんとうさまも見ずに死ぬ」という師匠の言葉を思い出して悲しくなるのでした。
感想
タイトルの夜明け前というのは、そのまま時代の夜明け前という意味だと思います。
夜明け前の時代
坂本龍馬も同じように「日本の夜明けぜよ」と言っていますよね。
ただこの有名な言葉は実は龍馬の言葉ではなかったとか。元々は時代劇のセリフでしたが、なぜか龍馬の言葉として有名になったそうです。
しかしこの時代は夜明け前という言葉がピッタリだと思います。
古いものから新しいものへ、考え方や着るもの食べるもの、政治がどんどん変化していきますが、その流れに付いていけない人たちだってたくさんいたと思います。
時代が変わる激動の中
時代が変わる激動の渦の中で、木曽路の人たちのために奮闘して挫折した男の生涯の物語です。
思い描いていた時代とは違うことに絶望し、どんどん精神が崩壊していきます。
半蔵が理想とした国学とは、古代の日本の思想といったことのようです。日本人であることを考えさせられる小説だとも思います。
理想と現実の板ばさみになって時代に裏切られた人たちがいたことを、現代の私たちは知っておくべきなのかもしれません。
半蔵は、「わたしはおてんとうさまも見ずに死ぬ」という言葉を残しています。結局、彼に夜明けは来なかったということでしょうか。