田山花袋(たやまかたい)の「田舎教師」は、明治42年に発表された小説です。自然主義文学を代表する作家である田山花袋の「田舎教師」は、夢と現実に揺れ動く主人公を描いています。
平凡でありながらどこか哀しい「田舎教師」の、簡単なあらすじをご紹介します。
田山花袋「田舎教師」あらすじ
主人公の青年が、新しい生活に意味を見出そうとする場面から物語は始まります。
進学を諦め教師の道へ
明治時代の中期、中学を卒業した清三は貧困のため進学することができずにいました。そんな彼は、親友の父親のはからいで村の小学校の代用教員として働くこととなります。
友人たちが上級学校へ進学する中、自分だけが田舎教師として一生を終えるのかという焦りもありましたが、いずれはこの生活から抜けだそうとも思っていました。
文学が好きな清三は、中学時代の仲間たちと行田文学という同人誌を発行します。それがきっかけとなり、羽生にある成願寺の本堂の一室に下宿させてもらえることとなりました。
これまで四里の道を通っていた小学校までの道のりが半分になったのでした。
離れていく友人たちの心
意欲をもって行田文学の発刊に取り組んだ清三でしたが、徐々に彼を取り巻く環境は変わっていきました。友人たちは進学などによって離散していき、行田文学はわずか四号で廃刊することとなります。
次第に仲間たちの文学への熱意は失われていき、芝居見物や女遊びに夢中になっていくのでした。そんな彼らを、清三は寂しい気持ちで見つめていました。
やがて彼は自暴自棄となり、成願寺にも帰らないようになります。
冬休みに実家に帰った時には、親友の郁治の元を訪ねて女遊びに明け暮れます。借金もかさみ、彼の生活は荒んでいきました。
挫折からの一念発起
そんな中、清三が密かに想いを寄せていた美穂子と郁治が親しく文通をしていることを知ります。
恋愛も学問もうまくいかない自分を辛く感じる一方で、潔く運命に従おうと言う心境になっていきました。そして、それからは絵を描いたりオルガンを弾いて過ごすようになり、生活を立て直していきました。
羽生に戻った清三は、これまで以上に教師という仕事にやりがいを持って取り組み始めたのでした。
こころざし半ばでの病
気持ちを新たにした清三でしたが、そのころから身体の不調が続くようになります。病名は結核でしたが、医師の見立て違いもあって彼は無理して仕事を続けていました。
その後、寺を出て借家に移り、再び家族とともに暮らすようになりましたが、病状は悪化する一方です。
そして町が戦争一色に染まる中で彼は、二十一年の短い生涯を終えます。
後に、彼のかつての生徒がやってきて、お墓に野菊を手向けて人目も憚らずに泣くのでした。
感想
家庭環境に恵まれなかったことで、友人たちとは違う境遇に立たされる青年の生涯を描いている小説です。最終的には哀しい最期を迎えてしまいます。
卑屈になってしまう気持ち
自分と同級生との差にコンプレックスを感じて、どんどん距離を置いてしまう清三の気持ちを考えると胸が痛くなりました。
自分と他人を比べて、勝手に卑屈になってしまうことって誰にでもあるのではないでしょうか。そんな風に感じていた頃を思い出して、哀しくなってしまいます。
夢も恋も叶わなかった青年
さらに清三は何も成し得ないまま短い生涯を終えるのです。しかし夢も恋も叶わなかった彼のお墓に花を添える女性が現れます。彼女はどうやら清三の生徒だったということです。
何も出来ないまま一生を終えてしまった清三の墓には、それでも彼の教え子が花を手向けにやってくる、これだけがこの物語の救いのような気がします。