なぜ金閣寺は「金箔塗りなのか?」という謎の答えは、残念ながらいまだに解明されていません。関係する史料なども発見されていないようです。
しかし日本人なら一度は行ったことがあるはずの金閣寺、その金箔塗りの理由とはなんなのでしょう? 今回は金閣寺を建立した足利義満の気持ちを考えてみました。
金箔塗りの理由とは?
さて、問題です。足利義満が金閣寺を金箔塗りにした理由の正解はどれでしょう↓
- 1ばん:ただの成金趣味
- 2ばん:金箔が余ってただけ
- 3ばん:義満は金色が好き
まぁ、どれも正解ではないですけどね(笑)!
しかし「黄金」をふんだんに使っているところに、権力の象徴とか威厳を保ちたかったという雰囲気を感じます。
ようするに、「オレの力すげーだろ!」という理由なんじゃないでしょうか。ちょっと単純すぎますかね^^;
そもそも金閣寺の金箔って1階は塗られていません。しかし2階、3階には塗られています。これもとても不思議に感じます。
単純に「水に浸かるから」だという理由かもしれませんけれど、そうじゃないかもしれません。
歴史研究家の意見とは?
そこで参考になるのが知識人の意見です。金閣寺の金箔塗りについて面白い説を唱えている方がいます。小説家で歴史研究家の「井沢元彦」さんです。
著書の「逆説の日本史ー中世王権編」で解説されているところによると、一層目が天皇家で、二層目が武士で、三層目が義満自身を表している、ということらしいです。
- 一層目が寝殿造り ←金箔なし
- 二層目が武家造り ←金箔あり
- 三層目が中国風の禅宗仏殿造り ←金箔あり
義満は中国の皇帝から「日本国王の称号」を与えられています。このことによって「自身を中国風に表したのではないか」というのが井沢さんの意見です。
自分たち武家が偉いと感じ、朝廷を見下していたのでしょう。そのことから贅沢品である金箔を塗り、権力を誇示したのではないかと思います。
光り輝く金閣寺の歴史とは?
金閣寺が今のような黄金に輝くことになったのは、放火が原因だったことをご存知でしょうか?
実は金閣寺は放火される前は実に簡素な見た目で、金箔もほぼ剥がれ落ちていたと言われています。
その後、修復が行われ、創建時の光り輝く金閣を取り戻したのです。放火は1950年、見習い僧侶によって起こされました。
この事件を題材にした小説を、三島由紀夫が書いています。
思いがけず放火によって輝く風貌を取り戻した金閣寺は、いまや人気観光スポットのひとつとなりました。おそらく修学旅行では定番の旅行先ではないでしょうか。
まとめ
金閣寺の金箔塗りの理由は真実が伝わっていない以上、憶測でしかありませんが、やはり自分の権力を表現したかったのだと思います。
歴史研究家の「井沢元彦」さんも、著書の中で三層に分かれた段階のトップに自分を置いているのではないかと書かれています。
現代では、光り輝く金箔に魅了された人々によって、金閣寺は人気スポットとして盛り上がっています。
さらに日本人だけでなく、外国人の人気観光地としてもよく知られているのは周知の事実でしょう。
きっと義満も、まんざらでもないでしょうね。
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